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SPORTS folio
スタートラインに立ったとき
Photo by Siarhei Nester on Pexels
短距離走

スタートラインに立ったとき

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胸の奥が少しだけざわついていた。周りには見慣れた顔もいれば、初めて見る選手もいる。でも、号砲が鳴れば関係ない。ただ自分の走りをするだけだと、何度も言い聞かせた。

「位置について、よーい」――その瞬間、世界が静かになる。余計な音も、観客のざわめきも遠のいて、目の前のレーンだけがはっきりと見えた。

パンッ、と乾いた音が響いた。身体が反射的に前へ飛び出す。最初の数歩はとにかく地面を強く押すことだけに集中する。腕を大きく振り、リズムを崩さないように呼吸を整える。

中盤に差し掛かる頃、隣の選手の気配が一瞬だけ意識に入る。でもすぐに振り払う。見るのは前だけ。自分のフォームとスピードを信じるしかない。

残りわずか。脚はもう限界に近いのに、不思議ともう一段ギアが上がる感覚があった。ゴールラインが近づくにつれて、体のすべてを前に投げ出すように走り抜ける。

フィニッシュした瞬間、全身の力が抜けてその場に立ち尽くした。結果はどうであれ、出し切ったという感覚だけが残る。息を整えながら空を見上げると、さっきまでの緊張が嘘のようにほどけていった。

短距離走はほんの数十秒の勝負。でもその一瞬のために積み重ねてきた時間が、確かに自分の中に残っていると感じられた。